2009年05月10日
沖縄八重山列島 ルーツへの旅

昨年の夏、沖縄八重山列島に行ってきました。
石垣島-西表島-与那国島-竹富島 と周りました。
8/30、31には西表島での『砂浜音楽祭』に出演させていただきました。
沖縄の南の島には太古から息づく日本文化のルーツ・伝統が
残され、庶民の暮らしの中に静かに躍動しているように感じます。
これは、南からやってきて森で生きた先人たちの血を受け継ぐ
信州人・美咲がたどった、沖縄八重山列島 ルーツへの旅記録です。
一週間分あるので、ながーいですが、よかったらこの旅にご同行ください。
□8月29日(第一日目)
羽田‐那覇‐石垣 と飛行機を乗り継ぎ、石垣島から船で鳩間島経由で約一時間で
西表島に到着しました。途中、羽田空港に行くまでに大雨の影響で相模湖‐八王子間が通行止めで大きく回避しつつなんとか辿り着くことが出来てひと安心でした。


いきなり海の美しさに圧倒されました。
西表島は大部分が亜熱帯のジャングルで、信州の植物とは植生が全然違います。


しばらくお世話になる西表島・星立村の“海の家・南ぬ風”に着いて一息ついた後、
翌日の砂浜芸能祭にむけて星立の浜のお掃除と舞台の設営をみんなでしました。


西の水平線に沈む夕日が美しい。
設営終了後、早速、その夕日の中、海で泳ぎました。
大地、海の懐に帰ってきた感覚に包まれ癒されました。
ふと出てきた言葉は「海へ帰ろう」。
30、31日の『砂浜音楽祭』は、青い海、砂浜、暮れていく夕日の中で
行われます。・・・それはそれは、美しい光景でしょう。
翌日に開催される『砂浜音楽祭』がとても楽しみになりました。
『砂浜音楽祭』は海と島をつなぐ砂浜・・・ここで歌や踊りを通して、島のすばらしさを
感じ、島に生きる人、島を愛する人が世代、出身地をこえつながる場で
ありたい。昔ながらの伝統を守りながらも、自由に表現できる場でありたい。
砂浜が年々コンクリート化が進んでいる中、今一度、砂浜を通して
自然との共生を考える場でありたい。砂浜から人々の交流と島の活気が
増えることを願いたい。音楽をとおして、世界の平和を、島の平和を願いたい。
それが開催の目的だそうです。
私はこの場でただ歌うだけじゃなくて、はるか三万年前
海から渡ってきた海人族がこの信州にやってきて
厳しい気候の中、森でたくましく生きて抜いてきた
その力強い信州人のDNAを受け継いでいるはずなので、
歌と一緒に自分のルーツもしっかり表現したいと思いました。
またそれにふさわしいセットリスト(プログラム)で演奏を行いたいと思いました。
そして悠久の時を超え、再び、南の島の文化と融合できるような気がします。
私の血の中では久しぶりに森と海がつながる瞬間でした。
とてもいい風が吹きました。
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□8月30日(第二日目)
30日の昼間は、西表島内をいろいろ巡りました。


そして、西表島の聖地の滝に行ってきました。
浦内川を30分くらいボートで登り・・・




ボートを降りて、密林(ジャングル)をひたすら歩きつづける・・・
今にも恐竜が出てきそうな森。遠い古代の記憶が蘇るような気がした。



そして・・・「マリュデゥの滝」に到着。
“マリュデゥ”のマリとは廻ること。滝壺に落ちた水が廻るからだそう。


そこからさらに奥へ歩いていく・・・
不思議なトカゲくんとの出会いもありました。

そして、上流の滝・聖地「カンピレーの滝」に到着。

すごく深く濃い自然を体験。体中に気が満ちています。
亜熱帯ジャングルの大自然の息吹に包まれ、
帰り道、歩きながら新曲も生まれてきました。
(31日の砂浜芸能祭で歌ってみました。)


午後四時くらいからリハーサルをし、
夕方からは「砂浜芸能祭・前夜祭」がスタート。歌わせていただきました。




北海道からビックなゲストも来ていました。“松山千夏”さんです(笑)
まーちゃんバンド・ギターさとるくんが盛り上げていました。
西表島の青年部のみなさんの島歌も、まーちゃんバンドも、風人ブデゥリ太鼓もとってもステキでした。
波の音、満天の星、長く尾をひく流れ星・・・
海を超えてやってくる風・・・
すべてが調和した自然の旋律。
すべてが音楽です。
・・・そういう音楽をわかちあうことで
人の暮らしの中に自然が身近なものになっていくのでしょう。
素晴らしい芸能祭です。ほんと。
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☆第12回島の手作り『砂浜芸能祭』
~夕陽や星空、波音に包まれて
砂浜で唄って踊ってもーあしびー~
8月30日(土)、31日(日)、 18時半~22時(2日間とも)
西表島・星立の浜
入場無料 雨天決行(雨の場合、星立公民館を予定)
出 演
●南ぬ風人まーちゃんバンド ●池田卓
●島の青年と子どもの芸能 ●美咲(from長野県)
●風人ブドゥリ太鼓 ●花火&カチャーシー大会
他にもいろいろ、でーじ楽しいお祭りですよー
★おいしい食べ物&飲み物バザー
いっぱいでるよ
主催:第12回『砂浜芸能祭』実行委員会
問い合わせ:TEL090-4567-8818
メールoffice@painukaji.com
★12年間、島人の手作りで続けてきたお祭りです、皆様のご協力よろしくお願いします
○一緒につくる仲間、実行委員を募集しています
○無料開催ですので、費用は、バザーの収益と、寄付によりまかないます。
会場での感動募金や寄付に協力をお願いします。
○送迎バスはありません、宿泊施設の皆様へはお客様の送迎に配慮をお願いします。
○ゴミを減らし自然環境を守るために、飲食バザーではリユース食器を使用します。
(2004年からリユース食器を使用)
唄や踊りをとおして、島のすばらしさを感じ、島から世界へ、平和を発信するお祭りを目指します
◎ 南ぬ風人まーちゃんうぽー
URL http://www.painukaji.com
ブログ http://ameblo.jp/upo-nokiseki/
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□8月31日(第三日目)
西表島三日目31日は
朝から村内の聖地・御嶽(うたき)を巡拝しました。


古代からの祭り・神事を大切にする星立村には90人という少人数の村ながら
三か所の聖地があります。
ここの村の住民にとって「人と土地」がつながるということに深い意味があるのですね。
古来から日本人も聖地を大事にしながら人、社会、自然をつなぎ今日まで営みを
つづけてきました。土地と人が一体になることは土地に根付いてきた歴史・文化と
同化することでもあります。
聖地を大事にしながら古式の神事・儀式・唄を未来に残していくことの
大切さをあらためて感じることが出来ました。
今、都会暮らしの人たちは土地やコミュニティーとのつながりがどんどん弱り、
人間本来の創造性を失いつづけているようにも感じます。
その中で、土地(聖地)とつながった文化にこれからどんどんフォーカスしながら、
土地(聖地)とつながった文化・歌をどんどん表現していきたいと思いました。
昼にはレンタルバイクを借りて港の方に行き沖縄そばを食べて
マンゴージュースを飲みました。濃縮100%のジュースは南国情緒満天です。


さて31日は砂浜芸能祭二日目(本番)・・・
まずは、まーちゃんと弟のよーしーが海に向かって奉納演奏。時同じくして、大海を見つめる美咲。




まーちゃんバンド・風人ブデゥリ太鼓で芸能祭はスタート。風を切る太鼓、かっこいい!

続いて美咲の演奏。
1. 心
2. 星くずの海(新曲)
3. 光
という感じでした。歌っていて風と波音に溶けていく気がした。
星くずの海(新曲)は、出来たてホヤホヤ。新鮮でした。
『星くずの海』
まわる またまわる
まわるよ 水が
まわる またまわる
まわるよ 風が
まわる またまわる
まわるよ 星が
まわる またまわる
まわるよ 空が
星くずの海
ゆらめくいのち
砂浜に咲く
花はゆらゆらと
まわる またまわる
まわるよ 水が
まわる またまわる
まわるよ 風が
まわる またまわる
まわるよ 星が
まわる またまわる
まわるよ 空が
あなたの中に
光る星くず
海に透けてく
祈り きよらかに
星くずの海
ゆらめくいのち
砂浜に咲く
花はゆらゆらと・・・

西表島出身・歌手の池田卓さんの演奏。ふるさとを想った島歌が暮れてく空海に美しく響きました。




西表島・星立村、お隣の祖内村の青年たちによる演奏。
島に伝わる伝統的な唄、オリジナルの歌、最後はファイヤーダンスも飛び出して盛り上がりました。




芸能祭クライマックス、南ぬ風人まーちゃんバンドの登場。
さいご大盛り上がりです。まーちゃんバンドの音楽でみんなが唄い踊ります。
途中、星立村のこどもたちが乱入。すごいです。
子どもたちまでお客さんをしっかり魅了してしまうのは。
そしてその直後、木の精霊・キジムナーたちがお祭りで楽しくなって舞台上で踊りまくり。
こうやって良き文化、風習が未来へとバトンタッチされていくんですね。
信州に戻ったら私も子どもたちに日本の文化・伝統を伝えていきたいです。
砂浜芸能祭がおわったあとは、満天の星空の下で打ち上げの飲み会です。
深くコミュニケーションできる素晴らしい飲み会。
驚くことは・・・必ず誰かが歌って場を盛り上げていることです。
歌のもつ素敵な役目のひとつですね。
美咲は砂浜で行われた第四次会まで参加しました。
石垣島の八重山(やえせん)という泡盛はホント、美味しいです。
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□9月1日(第四日目)
西表島四日目。
午前中はあいにくの曇りのお天気でした。
この数日の記憶が薄れないうちに報告記を書きはじめました。
不思議なことに西表では本当に自然が近く感じます。
信州も自然が身近にありながら・・・
ここまで自然が近い・・・という感覚が持てないのは
なぜだろうと思いました。
おそらく文化なのかな、と思いました。
星や波、花、樹、人、すべての中に精霊が存在するという精神文化が、
普通に暮らしの中に滲みこんでいます。
またそれをわかちあう歌がある。祭りがある。
人の意識の中に普通に自然の存在があるって、素晴らしいです。
ところで星立村には「かなざやん」という沖縄そば屋さんがあり、
評判を聞いていたので昼に行ってみました。
前日、前々日と二回行ってみましたが町長選挙などがあり
お休みでした。今日食べれなかったら今回はご縁がないかなと
思っていたところお店の前に本日休業の看板が・・・
お店の人がいる感じがしたので直談判してみたところ
「かーちゃん、汁あったかな。ある。うん、いいよ~。そっから入って」
とのお返事。ヤッター☆




沖縄ソーキそばを文したら、ガァバジュース、とうがんの煮付けなどを
サービスに出してくれました。美味しく親切な「かなざやん」さんに大満足でした。
そして午後は雨が止み、みんなで海に行くことに。

船で出港・・・・サンゴ礁の海に出かけます。
シュノーケリングは初体験。
ヒレヒレをつけてゴーグルをつけて海に泳ぎだします。


そこには夢のような光景が広がっていました。
熱帯魚、色とりどりのサンゴ群・・・まるで夢の中にいるような
不思議な気分です。
テレビで見るよりも実物、実際は本当に美しいです。
ふたつのポイントでシュノーケリングをしたあとは、沖縄の海で釣れるグルクン
という魚を釣ります。ふたつめのポイントで群れに当たり入れ食い状態でした。
美咲も沢山、釣りました。釣りってこんなに面白いなんて・・・
釣れると本当に面白いです。
サンゴの海で泳ぎ、グルクンを釣った一日は本当に想い出深い一日となりました。
夕飯に、釣ったグルクンをフライとお刺身で食べれたのは嬉しかったー。

みんないい顔してます。
西表の海を案内してくれたまーちゃんはじめ山下ブラザースに深く感謝です。
そして夜22:30からは『裏・砂浜芸能祭』と題された打ち上げ会がありました。
この打ち上げは身内+αのこじんまりしたものでしたが美咲的には一番、楽しんで飲みました。
西表島の最後の夜はとても“まんまるく”でした。
この席でまーちゃんの衝撃報告がありました。
なんと・・・まーちゃん、結婚したとのこと!本当、おめでとうございます☆
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□9月2日(第五日目)
八重山列島滞在5日目です。
西表島を後にして石垣島に渡り、石垣空港から飛行機で与那国島に入りました。

与那国島に来た目的は、太古の祭祀遺跡群の視察となんといっても「与那国海底遺跡」です。西の果てにきた証書、もらいました。西崎という西側の海岸からは天気が良いと台湾が見えるそうです。まさに与那国島は日本の西の国境(はて)なのであります。


日本人の中でスンダランド(13,000年前まで南西アジア方面に存在した大陸)から
黒潮に乗ってやってきた人たちは多く、信州でも北アルプス、安曇野、諏訪、八ヶ岳、志賀高原など・・・
こちらの方面からやってきた人たちが文化の痕跡を残しているようです。
旧石器・縄文時代の文化の背景にも南方(スンダランド)からやってきた
人たちの色合いは濃く、おそらく私たちの祖先はスンダランドを旅立ち、
西の玄関口の与那国に拠点をつくり、また八重山、沖縄、九州、四国、本州などに
旅立っていった・・・そんな濃いルーツのある場所かもしれません。
(与那国島は黒潮の只中なので・・・私たちの祖先はここを拠点にして
さらなる冒険の旅に出かけたのでしょう。)
与那国空港に降りた瞬間から、なにか深い懐かしさに包まれて涙が出そうになりました。
島内の遺跡、立神岩、人面岩など・・・
太古の祭祀場と思わせる遺跡群に出会いました。


現地の人たちが信仰する立神岩(東崎付近) クブラバリ(西崎付近)


森の中を歩いていくと 人面岩があります。おそらく祭祀遺跡かな。


Drコトー診療所のセットです。 与那国の海岸は岩場が多いです。
話は飛びますが与那国島から船で1時間も行くと
黒潮のカジキの漁場があり、島内でもカジキ料理が名物です。
夕食には地元の人たちが通う、居酒屋 国堺(はて)に行きました。
(与那国町役場の方からの推薦のお店でした。)
カジキのから揚げ、カジキのお寿司、カジキの刺身、
トウフチャンプルー、ミミガーチャンプルーなど食べました。
全部美味・・・大感動でした。(おいしすぎて写真撮り忘れた)
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□9月3日(第六日目)
つ、つ、ついに与那国島の海底遺跡を観てきました。
私の周囲には意外とこの遺跡を観た人が多いので
噂に聞いていた憧れの遺跡です。
案内していただいたのは第一発見者の新嵩 喜八郎(あらたけ きはちろう) さん
が操縦するジャックスドルフィン号です。
船底がガラス貼りで海底の様子がよく見えます。


さぁ、いざ出陣!






美咲的に印象ですが飛騨高山の位山の中腹にある祭檀石に通じる感じを受けました。
位山と同じく山頂に向かって東西南北の方位なども遺跡の構造との関連が見れました。

遺跡の真北に宇良部岳(山頂)があります。
おそらくこの山が大事な信仰の山だったのでしょう。
宇良部岳は与那国では最高峰で地元の人も霊峰として信仰されているとのこと。
霊峰・宇良部岳にも行ってきました。山頂でーす。


飛騨高山・位山や茅野・蓼科山にも通じるものを感じました。
この与那国の海底遺跡は20,000年前につくられた
と言われています。旧石器時代です。
その当時は寒冷期だったので今よりも海面が低かったと言われます。
なので海底遺跡は当時は陸地だったことになります。
しかし13,000年前の温暖化で大陸の氷が溶け出して
海面が上昇するとこの建造物は海底に沈んでしまったというわけです。
13,000年前まではこれより西方の現在の大陸棚にあたる
浅瀬が大きな陸地になっていたと言われます。
ここが私たちモンゴロイドの故郷スンダランドといわれる地帯です。
この大陸で私たちモンゴロイドが誕生し世界に旅立っていったそうです。
日本は島国で他国からの侵略がほとんどなく
スンダランドの文化・叡智が最も色濃く残っている国と言われています。
今回、スンダランド関連の祭祀遺跡・与那国海底遺跡に
行けたことは自分のルーツを深く知る意味でも本当に貴重な体験ができたと思います。
13,000年前海の底に沈んだ豊かな大陸の文化は私たちが住む日本に受けつがれ
覚醒の時を待っているように感じます。
今こそ豊かな王国・故郷の記憶を呼び覚ます時が来ているのでしょう。


東崎の灯台でウマくんたちと遭遇。 おい~っす! ・・・ (ウマも固まる)


与那国島では、ウシくん、ウマくん、ひつじちゃん、イヌくんなどなどが放し飼い
されています。ところどころで会うことができました。
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そして午後は飛行機で石垣島に渡り、さらに船で竹富島に渡りました。

竹富島は伝統文化をとても大事にしている島で
聖地(御嶽)や伝統行事をとても大切にしています。
その中でも美崎御嶽(ミサキウタキ)と言われる場所があるので
早速、レンタルサイクルを使って行ってみました。


御嶽は本土の神社と同じく現地の人たちの大切な聖地なので
その地域の伝統や信仰を大切にする想いが本当に大事です。


それにしても竹富島の御嶽はよく整備されていて素晴らしいです。
自分たちの文化を保存する取り組みが島全体に浸透しています。
島唄でよく歌われる、『安里屋ユンタ』のモデルとなった、美女クヤマの
生誕地とお墓もめぐってきました。クヤマの女性としての生きざまは、
とても尊敬できます。


安里屋クヤマの誕生地 安里屋クヤマの墓
そして西桟橋とコンドイビーチの中間にあるニーラン神石(カントゥイ)に行きました。



海のはるか彼方にあるニライカナイの国から、一年に一度神々が船に種籾を積み島に訪れ、人々に五穀豊穣やすべての幸せをもたらしてくれると信じられています。竹富島では毎年旧暦の8月8日に神司(かんつかさ)や有志が集まり、ニーラン石のもとでユーンカイの儀式が行なわれます。その際には供え物をし、ドラや太鼓を打ち鳴らし、「トゥンチャー」を唄い、手招きをして神々を迎えます。
ここは旧暦8月8日に島では大事な神事・世迎い(ユーンカイ)を行う場所です。
ニーラン神石(カントゥイ)のもつ神聖な雰囲気と、素晴らしい海と空に心底、感動しました。
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□9月4日(第七日目・誕生日)
八重山滞在最終日・竹富島です。
9月4日は23歳の誕生日です。
そんな日、なにをするべきか考えたあげく・・・
昨日、行ったニーラン神石の場所で勝手に奉納演奏をさせていただくことにしました。
朝6:00に自転車で出発。




いくつかの御嶽を参拝させていただきました。
そして、ニーラン神石に着きました。

演奏した曲は以下
1. 土
2. 星くずの海
3. 光
4. 天つ風
でした。
観衆は40匹くらいのヤドカリくんたちと、
2匹のカニさんでした。
(ご静聴ありがとうございました。)
この聖地で深く静かに演奏できたことは、23歳の幕開けの良き想い出となりました。
今まで出会ってきたすべてのみなさま、祖先のみなさま、自然、文化に深く感謝です。
このニーラン神石では毎年旧暦8月8日に、島の宮司や有志が集い五穀豊穣を祈る神事が
行われるそうです。今年の旧暦8月8日は9月7日なのでその直前に演奏できたことは
美咲的にとても嬉しかったです。この場所は、海の彼方の国“ニライカナイ”から
神様が一年に一度、種を持ってやってきて、その神様を向かい入れる神事を行う
場所とのこと。いつかチャンスがあればその神事を見てみたいです。


なごみの塔に登って見た集落。
というわけで今回の八重山滞在は終了~!
石垣島の空港に戻り、東京→茅野と戻ってきました。
夜7:00には無事茅野に帰れました。
帰りに「かえでの樹」に寄ってごはんを食べました。
特別メニューは新鮮な魚料理でした。
今回、西表をはじめ八重山列島を旅できたこと・・・
無事、すべての予定がこなせたこと・・・
大きな潮流に導かれていたと思います。
海流にのって、風にのって、想いにのって・・・
南方にあった太古の日本人のルーツ・記憶を
運んでくることが今回の私の大事な仕事だったと思います。
はるか南西のスンダラントから舟を漕ぎだし、
沖縄、九州、四国、そして本州、北海道と・・・
山々を目指し文化を切り開くために旅をしてきた私たちの祖先の勇気に感謝せずにはいられません。
信州にもそれらの祖先の痕跡が八ヶ岳、乗鞍岳、北アルプス、志賀高原などの
山岳に残っています。山頂を目指し、同時にその土地での暮らし、さらには
文化を切り開いていったパワーの源は・・・そのすごさは一体、なんでしょうか。
今回の旅では八重山の人たちの暮らしの素晴らしさと同時に、信州の素晴らしさ、
信州人のすごさを体感できたように思います。
私の血の中には、太古、厳しい自然条件の中でも、暮らしと文化を切り開いた
先人たちと同じ血が流れています。信州(神州)人としての歴史、文化そして
ここで息づく暮らしを大切にしながら、その叡智を未来につないでいきたい。
心底、そう思わせてくれる旅でした。
生きているかぎり、私はここで唄い続けていこうと思います!
ありがとう(みーはいゆー)。
Posted by 葦木啓夏(Hiroka Ashiki) at 14:20│Comments(0)
│ハラカラ